場所のチカラ

様々な場所や景観などについてとりとめなく綴ります。

吉野ケ里歴史公園 佐賀県神埼郡

本日は、吉野ケ里遺跡/歴史公園に行ってきました。

 ある意味、外構、エクステリアのthe原点ではないかと思うので、ちょっと、見てみましょう。

f:id:ryo243:20180504000351j:plain

弥生のエクステリアスタイル
 王が住んでいる家のアプローチ写真です。鳥居のような門がエントランスです。門扉はここにはありませんでした。外柵は、いかつい木杭(逆茂木/写真背後)フェンスですが、ゲートにはカワイイ鳥の飾り、完成度の高い世界を作っています。

 

f:id:ryo243:20180503220455j:plain竪穴住居の謎

 さて敷地内の南内郭といわれる、王や支配者層が居住していた場所を物見櫓から撮影したものです。写真中央にあるのが、先ほどの王が住んでいる家です。

 まず、今回何よりも小学生以来長年の謎が解けたので、すでにご存じの方もいらっしゃるかとは思いますが…うれしかったので、ご報告いたします!

 いわゆる竪穴住居なんですが、なんでこんな水が溜まりそうな住居で生活していたのか???です。

 この家の中には1mほど、掘削されているのですが、その発生土で家の土壁が作られて言います。そんな程度で、大丈夫?かと思うのですが、写真をみてもわかるかと思うのですが、集落自体が周辺より小高い丘陵地に位置していることが分かります。住む場所として、安全な地形を選んでいるんですね。さらに建物周りに壕がありその発生土を壕の外側に盛土することで、外からの流入と敷地内の排水の役目をしています。なんで、ここがそもそも丘陵地になったのか?とかブラタモリ的疑問が湧いてくるのですが、とりあえず目をつぶっておきます。このようにいくつかの手法でもって、水の流入を防いでいるのですね。

 それでも、なぜ、そこまでして穴を掘ったのでしょうか?答えは、弥生時代には断熱性の外壁材は当然なく、木の板一枚の家では、冬が耐えられないのですが、穴の中だとずっとしのげるということのようです。理にかなったデザインって美しいなあ。

ほかにも、墓地周辺の敷地デザインが本当にすてきだったのですが、今回はここまで。