場所のチカラ

様々な場所や景観などについてとりとめなく綴ります。

自分のガーデンを作る空き地管理者(「坂の町のくさはら」戦略パートナー)になりませんか?

プレイス・スケープ設計室のモデルガーデンの看板

 長崎で年々増えている勾配のきつく、車が入らないなど、宅地としての期待が持てない空き地を地権者と地元の方と協力しながら園芸的利用を推進する「坂の町のくさはら」戦略を一緒に推進する仲間になりませんか?放置されている空き地空間で個人的なナチュラリスティック・ガーデニング自然主義的植栽管理)を楽しみ、空き地の視覚的環境を改善することを大切にしながら、近隣住民の生活環境と地域生態系の改善を目標とするものです。

 前回アップした、空き地を利用して新しい生態系をつくる「坂の町のくさはら」戦略と似たような内容なのですが、今回は、活動推進の方法として管理者募集についてお話します。合わせて読んでいただけるとありがたいです。

 活動推進のために、空き地の管理者(「坂の町のくさはら」戦略パートナー)を探しています。共同作業内容は、今のところ何もありません!もしパートナーになっていただいたら、まずはいきなり理想の空き地探しをしていただきたいのです。その場所のイメージの仕方や、地権者とうまくつながるように近隣のかたのお世話になりながら私のできる範囲でサポートします。実践活動では、どのような管理手法が考えられるのか、勉強会を必要に応じて実施したいと思ってます。とりあえずパートナー活動内容はその程度しかありません。あとは課題が発生したときにともに解決していきます。具体的な管理活動内容は、それぞれ管理者が自身のスピードで決めることになります。

 強調したいのは、空き地を地権者と管理契約するのは団体ではなく個人であること、管理主体に責任者となる個人がいることが重要であると考えていることです。グループで活動すると、管理方向性がぼやけてしまうため、責任をだれも取れないことになるとできてくるものもつまらないからです。そのような個人になりたい、そのうちになりたいと考えていらっしゃる方とともに学び、ともにアイディアを共有し、困ったときには助け合えるような関係を時間をかけて構築していていきたいと考えています。

 もともとは、長崎市と共同するかたちで推進したかったのですが、残念ながら断られてしまいましたので、私の生業である外構工事業務とバランスが取れる範囲で活動を進めていきたいと考えています。きわめて公益性、貢献性が高いにも関わらず、個人的趣味性の強い活動になることを目指します。個人的趣味性を大切にすることはそれこそ、多様性であり持続可能性につながる力になると考えます。実践活動のスピードはとても遅いのですが、活動の仕組みをどんどん改良して仲間を増やせたら、すごく楽しい斜面地が生まれる気がしませんか?

 プレイス・スケープ設計室のホームページの問い合わせページから応募、ご意見をお待ちしています。 https://www.placescape.jp/contacts

空き地を利用して新しい生態系をつくる「坂の町のくさはら」戦略

    

 先日、長崎市の令和6年度長崎伝習所「塾」選定から残念ながら不採用となったアイディアを仕切り直し、深化させたいと考え、ここにはじめて公表します。今回は提案内容とその目的について市への提出資料に加筆訂正し、コンパクトに活動できるような内容に変更したものを作成しました。

 長崎市内の斜面市街地における空き地が近隣に及ぼす景観、生活環境保全などの問題点を減らす手法として、家には土地がないがナチュラリスティックガーデンなど植栽管理をしたり自然に触れたりしたいと思っていらっしゃる方と一緒に、生態系保全の考えを取り入れた園芸的手法による植生管理のありかたを検討する「坂の町のくさはら」戦略を提案します。長崎市立地適正化計画※1に示された居住誘導区域でなおかつ、比較的空き地が密集している地域を対象とします。一方、自然共生区域とされているエリアについては、現地既存種、できれば在来種をメインとし、侵略的外来種を除く作業となるべきであると考えています。

 空き地はあくまでも私有地なのですが、所有者の協力のもと地域景観や環境の点から一時的、流動的ながら共有地として捉え直し、面積が狭いので一人でも始められる社会資本(グリーンインフラ2)として管理ができ、穏やかで美しい風景で、多様性がある状態を維持するために、園芸(ナチュラリスティックガーデン)という手段を使った植生管理をしたい仲間を増やしていく活動です。グリーンインフラを目指していますので、モザイク状に面的に展開することが重要と考えています。予算や管理手法、生態系保全についての評価方法など、それぞれが学び、試行錯誤することが求められます。

 このアクティビティは現在失われてきている地域共同体の代替となることを期待しています。今までの自治体中心の活動では、高齢化、人口減少などの問題を抱えているため、他の近隣地域に住み、植物が好きな方の能動的な活動により解決策を見出していきます。昨年度から私が管理をしている、空き地のガーデンを拠点とします。今後、支援、賛同者が見つかり次第、他の場所に増やしていきます。活動をすすめるにはみんな(公共)や地域の協力が絶対必要となりますが、活動の中心はあくまでも個人であり、カッコつきの「みんな」や「地域」ではありません。おそらく、この点が長崎伝習所「塾」選定時に行政機関には「公益性」や「貢献性」として認められない理由かと想像してします。しかし、公益性や貢献性は上から認められるものだけではなく、横のつながりから生まれるものもあるはずです。この活動を通してコミュニティのありかた、生き甲斐など社会関係問題にも取り組んでいくことを視野にしています。  

 当面、私のガーデン管理作業自体は、作業が増えたときはサポートしてほしいのですが、今のところ一人で大丈夫です。活動の推進方法はちょっと悩んでいます。仲間が増え次第、管理エリアを拡張し、勉強会、定例会など規模に応じて活動拡大したいと考えています。特に、植物の選択、植栽方法は新しい生態系を目指す場合、最も重要な部分となりますので、試行錯誤をメンバーで共有することが求められます。しばらくは活動を支持していただけるようSNSなどを活用していきます。植栽管理希望者は、敷地所有者と相談をしてお借りし、市民農園とは違い、植栽地の造成から植栽までグループのサポートがあるにしても基本個人が中心となって実施します。公益性はありますが、ある意味、プライベートガーデンなので造成整備の仕方も個人によって異なってきます。その後の維持管理は市民農園同様、管理者個人が植えたい植物を自費で購入し管理することになります。繰り返しになりますが、あくまでも個人が中心となる活動で、困ったときにお互いに助け合う活動です。個人の自発的能動的な活動を許すことなしに地域共同体の代替は生まれないと考えるからです。土地を持たないガーデナーだけでなく空き地が多い地域住民にとっても待望の手法だと思います。このような活動に賛同、参加していただける方、また関心がありましたら、メールをいただけると嬉しいです。 

(連絡先) nishizaka#placescape.jp   #を@にしてください。

※1 長崎市立地適正化計画

長崎市│長崎市立地適正化計画

※2 グリーンインフラ 

環境:【導入編】なぜ、今グリーンインフラなのか - 国土交通省

 

 

住宅外部空間のこれから

 住宅外構というと和風、洋風、雑木の庭、モダン・・・といったスタイルの話しになることが多いのですが、ちょっと別の視点から考えてみます。

長崎県の住宅と敷地との関係

 インターネットでちょっと住宅の敷地に影響する数字を調べてみると、長崎県の1住宅当たりの敷地面積はほぼ横這いながら微妙に増加しているようですが、1住宅当たり延べ面積は徐々に増えてきているようです。車の所有台数は毎年1.3%とか微妙な増加のようです。

 

さて、何が気になっているかというと直感的に、外構(外部空間)のあり方が変化してきている気がするのですが、実際数字はどうなのかな?という疑問です。

サクッというと、敷地いっぱいに住宅を建てる傾向にあるようです。

きちんとした分析をしていないので、いい加減なものですが、住宅の外回りからいえば、徐々に狭くなってきていると読めるのではないでしょうか?

 

駐車スペースの増加

庭がつくりたい造園屋としては、面白くないかもしれませんが、よくみんなが口々にいうことで、駐車スペースが2台分から3、4台分へと広くなったという話しがあります。

これは事実かとは思うのですが、車の所有台数との関係があるかどうかは、誰かご存知の方がいらっしゃれば教えていただきたいところです。

もし、関係がないとすれば、来客用の駐車スペースを作る傾向にあると言えそうです。

関係があるとすれば、微妙な車所有台数の増加が、3台から4台へと、大きく面積を増やさざるを得ない状況を生み出してると言えるかもしれません。実際、私が直接聞く話では、来客用といわれることがよくあります。

 

庭スペースの減少

1住宅当たり延べ面積の増加が、必ず外部空間の減少に結び付いているかはわからないのかもしれませんが、屋内空間の増加と、駐車スペースの増加は、庭スペースの減少につながっていると考えてみました。

 

プライベート空間の質の変化

来客用の駐車スペースは、1住宅当たり延べ面積の増加と関連していると考えれば、室内に、来客用のスペースを用意しているともいえるのでしょうか?1個人としてのプライベートスペースから、仲の良い知人、親族とのプライベートスペースに変化してきているのかもしれません。別の言い方をすると、それほど親密でなくても、接点を持てるプライベートな外部空間が減ってきていると言えそうです。なんとなく、今の時代の内向化のような雰囲気を感じずにはいられません。

 

プライベートな外部空間の復権を目指して

内輪でいる安堵感を否定する気は全くないのですが、あまりにもそれぞれ住宅が孤立化するのは、今後の少子高齢化ではコニュニティーでの助け合いという点から切実な問題となってくるような気がします。そのためにも造園屋、エクステリア屋は、今時の外部空間のあり方について、お客様の話しに合わせるばかりではなく、どんどん魅力的な提案していかないとまずいのではないでしょうか。

 具体的には、アプローチ空間と道路が無理なく接続されているか、立ち話をしたくなるような場所があるかなど、アプローチ空間の充実は大事なポイントの一つではないでしょうか?または、人の家の庭に招かれる喜びを経験できるオープンガーデンのようなイベントもいいかもしれません。

 

長崎県立美術館 長崎市出島町

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建物緑化のしかた

 長崎県立美術館(県美)はとても美しい建築で、その外観に緑の法面があることに気づかれるかと思います。近くにある長崎港松が枝国際ターミナルも同じく緑化されているのですが、比べてみると、ターミナルは芝による屋上緑化で、建物の上に芝地がつくられています。一方、県美は、建物の上ではなく側面に盛土をして緑化されています。

おそらく、建物工事中に出てきた土をうまく利用し、隣の水辺の森公園と視覚的につなごうとしたものだと思います。

この法面保護工法は一般住宅においても、高低差を擁壁よりも安価に、また見た目を穏やかに仕上げることができます。それでは、どんな植物が使われているのか、近寄ってみました。

 

法面を保護する植物

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 ササ(チゴザサ)が植栽されており、斜面の土が崩れないように保護しています。管理頻度の問題で、雑草が混じってはいるのですが、個人的には、むしろ、完璧にするよりこの程度の管理のほうが好きです。

 ところで、はじめ1枚目の写真の三角右端が土の色が見えますが、おそらく、この辺りは勾配がきつく、乾燥しやすいため、枯れてしまったんじゃないでしょうか。なかなか、建物と敷地の取り合いで、法面を緩やかにするのは難しかったりするのですが、その後の管理を考えると、できるだけ緩やかにしたほうが理想的ではあります。

 

 

エコロジカル・デモクラシーとそれ以前のまちづくり、環境問題への取り組みの違いとは?

先日、Amazonからランドルフ・T・へスター著、土肥真人訳のエコロジカル・デモクラシーの本が到着!

 

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今までのまちづくり、環境問題への取り組みと何が違うか

まだ、イントロと中身をパラパラ程度しか読んでませんが、調べてみました。

ランドスケープエコロジー

 本文中に触れられているランドスケープエコロジーについては、武内和彦著の「ランドスケープエコロジー」や「環境創造の思想」などに書かれています。環境問題への取り組みの一つですが、個別に成果をあげていた地理学や生態学とは違い、はじめから大きな視野でもって包括的に考えると地域の生態が見えてくる、という考えなのですが、へスター氏によると、結局のところ、個々の研究に頼っているし、市民を無視して、トップダウンで決定する態度をとっていると批判的に語っています。

 

 では、エコデモでは、地学的、生態的な情報についてはどのような形で、市民の調理材料として議論のテーブルにのせているのかな?というと、「デザイン・ウィズ・ネーチャー」でマップのレイヤーで読み解いていったイアン・マクハーグだったり、「ジオデザインのフレームワーク」で、共同の仕方を示したカール・スタイニッツの流れ。決して、ランドスケープエコロジーが否定されているわけでなく、井手久登/武内和彦「自然立地的土地利用計画」の土台の上に進化してきているようです。

 

パタン・ランゲージ

 C・アレクザンダーの有名な考え方です。253のまちづくりの具体的方針パターンから成り立っていて、これが組み合わさり、市民の力で大きなものが出来上がるというものです。

 「設計の設計」という建築家などの方が書かれた本で、松川昌平氏が「加算的なデザイン」になるので「部分を総和しても全体にならない」と述べています。

エコデモでは、考え方としておおきく3つ(可能にする形態、回復できる形態、推進する形態)に分けられており、3つとも同時に実現することを目指すべき、となっています。それぞれが、かたちではなく、かたちの方向性を述べた言葉になっていること、同時に実現することで「全体」になっていくところが肝のようです。

 

ひとつの流れで、ランドスケープエコロジーとパタン・ランゲージが、組み合わさって、マクロなスケールからミクロ、コミュニティまで視野に入るようになっているのがすごいなあ。

 

エコデモ(エコロジカル・デモクラシー)とまちづくり

エコロジカル・デモクラシー

 エコロジカル・デモクラシーという言葉があるそうです。略してエコデモ。

 

 環境保護からのまちづくりにすごく関心があるのですが、少し前に、ツイッターで建築家の藤村龍至さんが紹介していた雑誌をちょっと読んでみました。

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 環境問題に関しては、身近な植物や土地の自然と楽しく過ごせたらいいなあ、という話しと、それが地球レベルに結び付けばうれしいなあレベルなのですが、日々の生活や、いろいろな誘惑から、なんとなくそういった自然保護についての実際的な行動は、特段何もせずに現在に至っています。
 

 そんな言葉で語るばかりの活動的ではない私に共感する方が、世の中にどの程度いらっしゃるのかわかりませんが、とにかく、どんな考え方があって、どんな風に変わっているのか、何をすればさらに楽しくなるのか実際よくわからないので、今回は書きながら考えてみます。

 

まちの問題点をスケール分類

 まず、私が関心があるお題として、長崎に住んでいるので、人口減少高齢化に従う、①空き家問題など身近な問題、②もう少し大きいスケールのインフラなど都市計画上の問題、③残っていくべき自然、文化の姿などがあります。それぞれ具体的に詳しく調べる努力をしていないので、語る資格がないのは、間違いありません・・・が、とにかくちょっと考えてみます。

 

スケールごとの問題と解決の手順 

 スケール的には①②③と大きくなるわけですが、できれば③からスタートして、①を考えつつ、②を規定してまた③にフィードバックしていくのが理想ではという気がするのですが、おそらく現実的には②がまずはじめに決まり、これが①③を規定していることが多いのではないでしょうか?

 

 この③からはじめようというのがエコデモの「聖性」の考えに近いのではないかと思うのですが、実際は、利害関係からスタートするため②が決まり、そこに①と③が寄り添っていくように感じます。そこに例えば富貴楼を解体するといった事態になる原因があるのじゃないかと思うのです。これは、東大で宇佐美圭司さんの作品が廃棄されたのも根っこは同じで、日ごろの無関心さじゃないかな。

 

どうすれば大切なものをのこせるのか

では、少子高齢化、人口減少待ったなしの状況で、③をどうやって規定するのか?学習だけでは無理で、心の問題があるんだろうな、という気はします。

 

 富貴楼の事例から思うのは、もう少し連続と周辺環境とのボリューム感も生き残るための手段になり、孤立すると消滅しやすいかもしれない。もう一つ別の方法として、例えば、それぞれの自然、歴史的な施設にかかわる、もう少し深く見えない部分のつながった世界観の理解。地域規模であったり、世界規模であったり、保護と活性、エコツーリズムのようなあり方でうまくいくのかどうか。利権関係が強烈で、生きていくのも大変な時代だけに、長崎の数々の消えそうな宝を守るにはみんなの共感が得られるような目に見える素敵なカタチとし、それはある程度のスケール感でいかに表現できるかにかかっているかも。

 

 

 

 

大光寺 長崎市鍛冶屋町

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 樹木の形には、様々な剪定技術があります。近年は透かし剪定と呼ばれる技法でつくられる自然風剪定が人気ですが、それとは別に生垣に代表される人為的にある形に刈り込むジャンルがあります。海外では、トピアリーと呼ばれ、動物のかたちや幾何学型に剪定したりされます。このイヌマキの剪定もいわばトピアリーの一種です。大枝の所々に玉枝を残す「段づくり」、「玉つくり」と呼ばれる仕立てです。ひとつひとつの玉は底面を平らに、水平に作るのがポイントとなります。

 立派な民家でも見られる代表的な樹木で、今どきの新築では、手入れの関係で少なくなっています。そもそもなんで、このような樹形がうまれたのか?それを考えたとき、新芽が明るく出てくる季節の玉の浮遊感から、これは、もともと雲の表現として受け継がれてきた!と感じました。つまり建物、家の格式を上げるため、建物の周り、敷地外周に雲がまとわりついているイメージを狙っているのではないかと予想しています。変化の乏しい常緑樹ではありますが、黄みがかった新葉が吹き出す季節はこの木の最大の見どころだと思います。

 山採り樹形がもてはやされる昨今、そろそろ、このような段づくりも和風といったジャンルとは違う新しい解釈をくわえることで庭や広場に再登場してほしいものです。

参考:樹木の剪定と整姿 上原敬二著